FAKE DOCUMENTARY “Q” 非公式考察
フェイクドキュメンタリーQ。ひとつひとつの作品は、一見どれも不可解な内容ばかりに映ります。
でも、これまで公開されてきた25作品を通して見たとき、その不可解さに何か共通の描かれ方があるとしたら——今回の考察が、Q世界で起きていることを紐解く一助になれば幸いです。
FAKE DOCUMENTARY “Q” には、説明されないまま置かれる出来事がたくさんあります。同じテープなのに見えるものが違う。まだ公表されていない人物の顔が先に描かれている。同じ建物のエレベーターが、ある人だけを本来ない階へ運ぶ。
こうした場面を前にすると、私たちはすぐに「なぜそれが起きたのか」を知りたくなります。しかしQは、その理由をほとんど説明しません。だから考察が生まれ、いくつもの読みが並びます。
このページで検証したいのは、どの読みが正しいかではありません。作品の中にある材料だけで、どこまで言えるのかです。
やり方は、現代文の読解問題に近いものにします。まず本編で直接確認できることを拾う。次に、複数の場面を比べて初めて言えることを分ける。外部の神話や音楽史や宗教の知識は、知っていれば面白い補足として脇に置き、それを知らないと本文が読めない構成にはしません。そして、まだ決められないことは、決められないまま残します。
FACT本編で直接確認できること
INFERENCE確認できることを組み合わせて導いた読み
OPTIONAL外部の知識による補足。本文の論証には使いません
UNRESOLVEDまだ決められないこと
この記録では、Qについての読みを二つ並べます。片方は、考察者の相馬律氏がnoteで公開している読み。もう片方は、この記録が採る読みです。
先に断っておきます。これは対決ではありません。二つの読みは、想像されるよりずっと近いところまで同じ道を歩きます。分かれるのは、最後の一段だけです。
怪異は、反復が複製へ変換される瞬間に起きる。すなわち、時間がモノになるとき。反復そのものは、続いている限り何も起こさない。条件が満たされると処理が起動し、結果が生じる。しかし、その理由を書いた「判決文」は読ませてもらえない。相馬氏は、その背後に門・階層・名簿・台帳・職員からなる冥界の行政機構までを読みます(後編「読めない判決文」)。
条件があり、条件が揃うと現象が起きる。そこまでは同じです。しかしその先に、判決や罪状や、理由を秘匿する主体や、統一された組織までは仮定しません。人物・場所・時間・物体・行動・順序・観測といった複数の変数が揃った結果、別の状態との接続が起きた ── そこに留めます。
二つの読みが、どこまで同じ道を歩き、どこで分かれるのか。それを一枚にしたのが次の図です。共有している範囲の方が、分岐よりずっと大きいことに注目してください。
違いは、観察された現象そのものではなく、その背後に何を仮定するかにあります。条件があること自体は、争点ではありません。
批判から入るのは公平ではないので、先に相馬氏が何を言っているのかを紹介します。相馬氏は、Qが繰り返し描いている操作を七つの層として整理しました。反復、記録、複製、上書き、索引、命名、収集です(前編「物になり損ねた時間」)。
この整理は鋭いものです。特に、反復と複製を別のものとして区別した点。反復は時間の中の行為で、場所に縛られ、続いている限り何も生まない。それが記録という装置を通ってモノに変わり、複製されて場所から引き剥がされていく。相馬氏は、怪異が起きるのはその変換の瞬間だと言います。
相馬氏は実在の考察者で、記事の中で自分から留保をつけています。検証できていない点があること、最終的な解釈は個人的なものであること、制作者の言明ではなく視聴者の考察にも依拠していること、そして「読めた気はしていない」とまで書いています。
ですからこの記録の立場は「そんなことを断定するのはおかしい」ではありません。本人も仮説として提示している。そのうえで、作品の内部だけからどこまで支持できるかを、もう一度こちらで線引きしてみる ── そういう立場です。
この記録では、いくつかの言葉を決まった意味で使います。全部で九つありますが、最初に必要なのは三つだけです。残りは出てきたところで説明します。
インターフェース。ビデオテープ、カメラ、写真、鏡、電話番号、Webページ、道、洞窟、エレベーター。 Qで異常が現れる場所は、たいていこのどれかです。ただしこの記録では、これらを怪異そのものとしてではなく、通り道として扱います。テープが呪われているのではなく、テープが何かへの入口になっている、という見方です。
接続。ある状態から別の状態へ、情報・声・像・物・人・空間のいずれかが通ること。そして再現条件。その接続が起きるために揃う必要のある、変数の組み合わせです。
「別の状態」という言い方をしますが、これは複数の世界が存在すると断定する話ではありません。人も場所も物もほとんど共有していて、しかし公開されている情報や、時間や、結果だけが違う。そういう状態が近くにあるかもしれない、という程度の意味に留めます。パラレルワールドというジャンル名を先に貼ると、証拠から導いた推論ではなく、最初から設定を持ち込んだ話になってしまうからです。
六つの章は、独立した作品紹介ではありません。読みが育っていく順序に並んでいます。前の章で分かったことが次の章の問いになる、という形で進みます。
最後に、書き手として守ることを先に書いておきます。読みながら確認できるようにするためです。
本編にない場面を絵にしません。顔の見えない人物に顔を与えません。架空の地名・施設・日付・事件番号を作りません。複数の作品の要素を、一枚の作中資料のように合成しません。図版はすべて考察のための図であり、作中資料ではないことが分かる形にしてあります。
そして、説明できないことを、大きな見出しや演出で埋めません。分からないところは、分からないまま置きます。
各作品の記述は、筆者が本編を視聴して確認したものか、公式チャンネルの日本語字幕に基づくものです。字幕に残らない映像だけの出来事は、筆者が見て確認できた範囲に留めています。一部の発言には、その場面から再生できるYouTubeリンクを付けていますが、すべての記述に時刻が付いているわけではありません。第六章のRIEKOは、本編の該当時刻との突き合わせがまだ済んでいません。